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7月 10

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第125話「東京オリンピックを招致したフレッド和田」


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2014年6月放送分

 

※今回は、父の明と息子の健がお送りします。

 

健「ワールドカップももう決勝戦か。日本は残念だったけど、良い試合だったなあ」

 

明「そうだな。他のチームも凄い試合やってたし、決勝も楽しみだ。

そういえば、今月のラジオ聴いたか?」

 

健「あ、まだ聴いてない。どんな内容だった?」

 

明「世界と日本をつないだ日本人の話だったぞ。1964年の東京オリンピック招致に力を注いだ和田勇さんっていう日系の方と、ブラジルの国技のグレイシー柔術を広めるきっかけを作った前田光世さん、コンデ・コマって聞いたことないか? 負けなしで世界で活躍した柔道家だったんだ。この2人を紹介してたな」

 

健「へえ。コンデ・コマって聞いたことあるかも。でも和田勇さんのことは聞いたことない」

 

明「和田さんは1949年にロサンゼルスで開催された全米水泳選手権大会に出場する日本人の選手たちを家に泊めたことがきっかけで、東京オリンピックの誘致に関わることになったんだ。当時の全米選手権大会は、敗戦後初めて日本から派遣された選手たちだったから、現地で日本人に対する偏見が激しくて食事も宿も拒否されたんだよ。そこで和田さんが選手たちを家に招いて食事も寝るところも用意してもてなした。その時に知り合った日本水泳連盟の会長だった田畑さんや、後に東京都知事になる東さんに懇願されて、東京オリンピック招致の準備委員会になったんだ。日系人が多いラテンアメリカの票を集めるのがカギになるってことで、和田さんははりきって奥さんと一緒に中南米に行ったり、投票の日に現地に行ったりして頑張った結果、オリンピックが東京で開かれることになったんだよ」

 

健「そうだったんだ。オリンピック招致の影にそんな人がいたなんて知らなかったな。2020年の東京オリンピックの影にも色んな人の努力があったんだろうね」

 

明「そりゃあそうさ。凄いことなんだよ、オリンピックが開かれるってことは。それで、だ。後半ではコンデ・コマこと前田光世さんの話を紹介してたな。前田さんは「講道館に入門して柔道に打ち込んで、どんどん強くなっていって、日本を一等国に成長させるため世界に日本の伝統とスポーツを広めるってことで、アメリカに他の先輩たちと一緒に派遣されたんだ。そこから前田さんは世界進出を始めて、世界中を飛び回って異種格闘技戦や柔道で世界の猛者たちと戦っていったんだよ。世界一の力持ちって言われたブッチャー・ボーイとも戦って勝ったりして、海外で前田さんの人気は凄いものになっていった。それからブラジルで柔術と護身術をカーロス・グレイシーに教えたことがきっかけで、グレイシー柔術が生まれて、コンデ・コマって名前が広まったんだ。前田さんは柔道家としてだけじゃなくて、アマゾンで移民開拓事業を成そうと力を注いで、多くの日本人を勇気づけ、助けたんだ」

 

健「柔道家だけじゃなくて、移民事業もやるなんて凄いね。しかもアマゾンで」

 

明「だろう? 男だったら憧れるよな。よし、お父さんも柔道始めるかな」

 

健「え? 今からって遅くない? 歳考えてよ」

 

明「何言ってる。前田さんは言ってたぞ。『なんでも取り入れろ。いつでも学ぶ立場でいろ』ってな」

 

健「それはそうかもしれないけど・・・」

 

明「健も一緒に柔道やるか」

 

健「えっ、俺はいいよ。早くラジオ聴かなきゃ」

 

明「あ、健! 逃げ足だけは早いな、まったく」

 

今回ご紹介した文鮮明師のメッセージ

「私たちが五官を通して感じる感覚の一切を、この生命、または愛とどれくらい関係を結んで生きるかによって、人間としてどれくらいの価値を持っているかという問題が左右されるのです。それゆえに、私たちは、一日の生活において、どれほど生命を投入し、愛の心を持って対人関係を結び、社会生活をしているのかという問題を考えざるを得ません」

 

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